猫が一匹おりま“した”

日本の某所でPIとしてスタート

教育

ここ最近、自分のproject(の一部)をbachelor studentに担当してもらい、実験指導しながら遂行しております。



あぁなんてこったい、1日が一瞬で終わっていく・・・そして自分の仕事は全く進まない。。。
まぁでもこれも最初だけ、と信じたい。



こっちでは日本と違って、bachelor thesisを書くまでの実験期間が2.5ヶ月しかありません(+0.5ヶ月で執筆)。この短期間でできるprojectを考えて、thesisを書かせなくてはなりません。
限られた時間内に効率よく実験を行い、なおかつある程度結論が導き出せる仕事を考える。すなわち、明確なゴールの設定とそこまでのアプローチ方法。これを考えるのは、自分にとってなかなか勉強になるなぁ、なんて思ったり。


bachelor studentなので、当然彼らにしてみればわからないことだらけです。ですのでsupervisorとしては、実験手法やその原理、このテーマが目指すところは何なのか、というところをきちんと説明して理解させることが責務だと思っています。あとは、仕事そのものに対しての興味を引き出させることができれば申し分ないかな。

なんてことを思っていて、ハッと気が付きました。



もしかしてこれが教育というやつなのか、と。



今まで、教育などということについて真面目に考えたこともありませんでした。何故って、自分はまだまだ未熟者で教育される側だと思っていましたから。人に講釈垂れることができるほど大した人間では無い、と自覚しておりますので。
でも、すでに結構いい歳になってきて(認めたくないけど)、そういう責任が問われる年齢になり始めたということなのでしょう。自分ができる範囲で、下の世代に物事を伝えていくことを意識していかなくてはならないと感じます。



巷で話題の、某万能細胞の件。ネット上の記事しか読んでいないので、日本でどの程度またどのようにこの話題が報道されているのかはわかりませんが、研究の現場を震撼させる出来事だと思います。
いろいろ突っ込みどころが多い事件ですが、今回の件を著者個人の問題として片付けてしまうと、日本の研究社会は後に同じ轍を踏むことになる可能性がある、と個人的には考えます。現在の日本の大学院教育がまともに機能していないかもしれない、という事実について深刻に受け止める必要があると感じます。


日本でこういう出来事が起こり、ちょうど同じくしたタイミングで学生指導を始めた自分としては、「教育に対する責任」ということについて考えさせられました。





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