猫が一匹おりま“した”

日本の某所でPIとしてスタート

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

さて、お次はポーランドでおよそ最も有名だろうと思われる観光場所であり、"負の"世界遺産である「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」へ向かいました。


クラクフ駅の東側にある高速バスターミナルから、アウシュヴィッツのあるオシフィエンチムまでバスが出ています。大体片道1時間半〜2時間程度です。料金は14ズォティほど(3ユーロちょい)。うーん、安い。


はじめに、あまり詳しくない方用に説明しておくと、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所アウシュヴィッツ第一収容所とアウシュヴィッツ第二収容所ビルケナウの2つから成っており、お互い少し離れたところに位置しています。
大戦時、ヒトラー率いるナチスユダヤ人、ジプシー、政治犯などなどをここへ収容して、労働力として利用していたわけですね。


そして、クラクフから出る高速バスはダイレクトに第一収容所に着きます。



アウシュヴィッツ第一収容所へのチケット売り場兼入場口。到着時は10時過ぎぐらいでしたが、入場口はすでに混雑しています。チケットは建物に入って右手側の窓口から買えます。
現在アウシュヴィッツでは、近年の見学者の増加に対して対策をとるようにしています。具体的には4月〜10月のシーズン中は、単独での見学は午前10時から午後3時の間は認められておらず、この時間帯の見学者は全てグループガイドツアーを組まれます。要は前回のヴィエリチカの時の様に、使用言語によって時間を分けて効率よく見学者を捌くようにしています。
どうやら日本語ガイドの人もいるらしいのですが、利用するためには事前予約および一定数以上の見学者が必要のようです。まぁこんなところに単身で(わてのように)見学に来る日本人が英語で困るなんてことはないでしょうし、わざわざ日本語をチョイスする必要も無いでしょう。



この観光シーズン、当然英語のグループは一番多くなります。ぞろぞろと団体さんで収容所内へ向かいます。



入り口にある「ARBEIT MACHT FREI」の文字。以前訪れたベルリン郊外のザクセンハウゼン強制収容所にもありましたね。この看板は、学生時に社会科の教科書か何かで見た方も多いでしょう。Bの文字が上下逆にされているのは、当時この看板を作った収容所の人の反抗心の現れとか。ちなみにこの看板、数年前に盗難にあい、その後切断されて発見されたので(その後修復されました)、今飾ってあるのはレプリカとのこと。オリジナルはどこぞかに厳重に保管されています。



第一収容所内。あまり物々しい雰囲気はなく建物もレンガベースで綺麗でした。天気もよかったこともあってか、なんだか長閑な感じが。。。



とはいえここは収容所。収容者の脱走を許さない、鉄壁の防御。当時、有刺鉄線は高圧電流が流れていたとか。


収容所内の建物では当時の様々なものが展示されています。



ガス室で毒ガスとして使用されたチクロンBの空き缶。



収容の際に取り上げられたメガネ。

その他、靴とかカバンとか義手・義足、刈り取られた髪の毛なども展示してありました。



とある建物と建物の間には、何か特別なスペースがありました。隣の建物の窓はこのスペースを見れないように塞がれています。この奥には何があるかというと、



それがこれ、いわゆる「死の壁」。すなわち、銃殺刑の場、ということです。当時、脱走を試みたりレジスタンス活動をしたものは囚人として罰を受けたわけですが、その処刑の一つとしてここが使われていたわけです。一応処刑は秘密裏に行うようにするため、上述のように窓を塞いで現場を見られなくしていたわけですが、当然皆はここで何が行われているかは知っていたようです。



敷地内には、何かをぶら下げるようなものがありました。もちろんオリンピックを目指すための鉄棒でもなければ、健康ぶらさがり器でもありません。囚人をまとめて「吊る」ための、絞首台です。



収容所のはずれには小さな絞首台がありました。
アウシュヴィッツの所長であったルドルフ・ヘスは戦後に裁判を受け死刑を宣告されたわけですが、そのための絞首刑に用いた台がこれになります。
多くの囚人を吊るした彼の最期は、同じく吊るされるものでした。



ヘスの絞首台の隣には、ガス室があります。このガス室は戦後に復元されたもので、当時のものがそのまま残っているわけではありません。



ガス室内部です。天井に穴が開いているのがお分かりになると思いますが、ここからチクロンBの缶が投げ入れられ、ここに連れてこられた人々が毒殺されました。



ガス室のすぐ隣は焼却施設になっています。ここでせっせと遺体を焼却して処分していたわけですね。
このように、殺害と処分が一緒になった複合施設のことを「クレマトリウム」といい、当時ナチスが実行したホロコーストを担っていました。


とまぁこんな感じで第一収容所のガイドツアーは終了します。大体90分〜2時間ぐらいでしょうか。
この後、第一収容所からシャトルバスに乗って第二収容所ビルケナウに移動します。ビルケナウは第一収容所と違って無料で自由に入場・見学可能です。そのため、ここでガイドを離れて自分で勝手に行動することも可能です。が、第一収容所のガイドさんもそのままビルケナウまで移動して、ビルケナウ内部を説明してくれるのでついていった方がお得です。ただ、昼食タイムが無いので、どこぞかで軽食を買っておくとかしておかないと後々困ります。



第一収容所からシャトルバスで5〜10分ほどで、かの悪名高き第二収容所ビルケナウの目の前に着きます。

ここビルケナウは労働力の確保というよりは、ユダヤ人等の殺戮を目的とした「絶滅収容所」という位置づけです。

写真はビルケナウ外側から撮ったものですが、当時ヨーロッパ各地から貨物列車に乗せられて連れてこられたユダヤ人等はこの線路を伝ってビルケナウ内へと輸送されました。



ビルケナウ内からの写真。この光景もおそらく社会科の教科書あたりで目にしたことがある人が多いでしょう。



ユダヤ人を乗せていた列車。見たとおり密閉空間です。内部には当然トイレ的なものはありません。にもかかわらずこの中にギッシリ人を詰め込んで運んでいたようです。その列車内部の劣悪な環境から、遠路から運ばれここに到着したときには既に息絶えていたということも頻繁にあったとか。



列車からおろされると、この道沿いにまず並ばされ、「選抜」されます。選抜とはすなわち、労働力として使えるか使えないか。
労働力として期待できる男性たちは選抜された後、左右の道へ連れて行かれ労働者として収容されます。
労働力として期待できない女性、子供、老人はこの道をまっすぐ進みます。
この道の先に何があるかというと、それは「クレマトリウム」です。
長い列車の旅の果てにここに連れてこられた人々のうち、70〜75%はそのままクレマトリウムに連れて行かれたとのことです。当然、その先で何が行われているかもわからないまま。



そのクレマトリウム、の残骸がこれです。証拠隠滅のためか破壊されているので原形はとどめていません。
構成としては、まず入ると脱衣所があり、その奥にシャワー室という名のガス室があります。天井にはシャワーの形をしたものが一応ついていたようですが、当然水は出ません。ただのデコイです。
毒ガスにより殺害された人々は、さらにその奥の部屋にある焼却施設で処分されていったようです。
当時ビルケナウにはクレマトリウムが数基あり、1日に1000人以上の処分が行われていたとのことです。



クレマトリウムの近くには謎の溜め池がありました。
これは何かというと、焼却した遺体の灰を捨てていた場所、とのこと。


ここビルケナウは絶滅収容所という名の通り、ユダヤ人絶滅のためにただひたすら死を量産する場所だったのだな、と感じます。



ビルケナウは非常に広いです。ぐるっと歩いて見て回ると大変です。とはいえあまり建物は残っていなくて更地になっているので、それほど見るものは無いのですが。
単身で見て回るとあんまり情報が得られないかもしれないので、やはりガイドさんについて行った方がよいでしょう。丁寧に説明してくれますし。


で、ガイドツアーはここビルケナウで終了して解散です。自分はしばらく残ってもう一度自分の足で見て回ったりしていました。
その後シャトルバスで第一収容所に戻りました。とっくに午後3時を過ぎていたので、もしかしてもう一回今度は一人で再入場できるんじゃなかろうかと思って聞いてみたら、あっさりOKでした。というわけで、第一収容所のほうも復習をかねて一人で軽くグルっと回って見ました。大体午後3時を過ぎるとガクっと見学者の数は減っていました。やっぱみんな朝からガイドツアースタートして、終わったらすぐ帰るのね。

その後、自分も高速バスでクラクフに戻りました。帰り着いた頃には午後7時前ぐらいでした。
ですので、クラクフに泊まってアウシュヴィッツを見学される方は、見学のために丸一日とることを予定として考えておいた方がよいでしょう。


1日費やしても学ぶだけのものが、ここにはあるはずです。




(続く)





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